本日3月11日 東日本大震災から3年が経ちました。
いまだにあの揺れや津波の映像、多くの方が被災された痛み……鮮明に心に刻み込まれています。
日本中の人々が傷つき、それどころではない、という風潮から様々なイベントが中止になる時期でした。
3月下旬の全国選抜大会はこの年茨城県で開催される予定でしたが中止になりました。
4月の関東予選、6月の関東大会も開催されるのかどうなのかわかりませんでした。確かにそれどころではない状態でしたが、3年生は最後の1年の集大成のために頑張ってきましたから、これで大会が無くなってしまったらこれまでの努力が報われない、と梶田先生が苦渋の表情をされていたことを覚えています。
4月の予選、6月の関東大会は無事に行われました。しかし被害の大きかった茨城県や千葉県の選手の中には準備ができなかったり出場できなかった方もいたと思います。
8月のインターハイは北東北で行なわれ、ボクシング会場は秋田県でした。秋田県なので開催できましたが、競技によっては岩手、宮城が会場になっていたと思いますので開催できたとしても大変なご苦労があったと思います。
秋田には先生と息子を含む部員2人と私の4人で行きました。
帰りに4人で甚大な被害を受けた南三陸町に立ち寄りました。お手伝いをするためにです。
校庭にSOSと書いて救助や支援物資を求めたことで知られる志津川高校は海岸からかなり距離があり、遠くにしか海が見えない高台にありました。しかし高校の真下にある3階か4階建ての老人ホームの窓には津波で流されてきた様々な瓦礫が突き刺さっていました。
こんな遠くまでエネルギーを維持したまま10m強の波が押し寄せる…想像を絶する津波の脅威を初めて感じました。
そこで人々が生活を営んでいた事を想像しようとしても全くできないぐらい跡形もありませんでした。
ただただ呆然としてしまい、言葉も出ない、涙も出ない、この感覚はなんなんでしょうね、と先生とお話しした光景を鮮明に覚えています。
ほんの少しの時間でしたが息子たちと4人で被災された方々とお話しをしたりその時に行われていた地図を作る、というイベントのお手伝いをしました。淡々と思い出話をする方、涙を流される方、美しい街だったんですよ、と話してくださる方もいらっしゃいました。
その1週間後まだ余震の残る中、私は石巻、女川町で墓地の瓦礫撤去のボランティアに入り丸2日作業をしてきました。古い結婚式の写真、教科書、鍋、食器の一部……様々なものが泥まみれになっていました。
一瞬にして日常や愛する人を奪われてしまった現場を目にしました。
3月24日から全国選抜大会が兵庫県で行われます。兵庫県も阪神淡路大震災を経験し、かなりの復興を遂げたとはいえ、依然悲しみを背負っていることには違いありません。阪神淡路の時も、東日本の時も試合出場が決定していた選手にとっては仕方ない事とはいえそれが果たせず無念だったことと思います。
ボクシングの練習に専念できる事、試合に出られる事……当たり前のことかもしれませんがとても幸せな事です。震災から3年、このようなことを心に巡らせ、大切にボクシングや学校生活を送って欲しいと思います。